自治連役員研修会/福島県飯舘村(菅野村長)を訪問

sugano平成25年度自治会連合会役員研修会を、11月17日(日)18日(月)に、福島県をバスで訪問してきました
1日目は小名浜港と塩谷崎周辺の津波被害の模様を視察し、塩谷崎では被害状況の話を聞くことが出来ました。

2日目は、飯舘村役場まで行き、汚染作業の実態を車窓から見学しその後、菅野村長がいらっしゃる飯野出張所(福島市飯野町)に向かい、10時半過ぎから菅野典雄村長(右上写真)からお話を聞くことが出来ました。
到着後すぐ村長室を訪問し小野会長が、北川昭島市長からの親書を菅野村長にお渡しいたしました。
iidatemura-1
iitoi_area_f菅野村長のお話の主な内容は、
1、原発事故から学ぶ
  ・成長一辺倒 今こそ転換
2、
政治の役割
  ・結論よりバランス重視
3、本当の田舎暮らし
  ・人生アクセルを緩めよう
4、までいライフ
・成熟社会を歩む指針に              原発以前の村の風景です
5、次世代への贈り物
・電灯を消し成熟社会へ でした。
菅野村長、貴重な体験を踏まえたお話、ありがとうございました。
今後、本日のお話を昭島の地で、コミュニティ作りに生かしていきたいと思います。

koutei-112時前に、飯野出張所を出発し、今回の津波での被害の大きかった”南相馬町”と宮城県の”山元町”を車窓から視察し,21時過ぎに昭島に戻ってきました。

今回の目的は①飯舘村の菅野村長にお会いしお話をお聞きすること、②飯舘村の除染作業の視察、③津波被害の”南相馬町”と宮城県の”山元町”の視察、④自治連役basu員の親睦でした。2日間ともバスでの移動でしたが、温かく晴天に恵まれる中、貴重な研修会となりました。

〔参考資料〕 朝日新聞 天声人語 2011.5.5(木) 『までい生活』

方言には、標準語には収まりきらない深みと幅を持つ言葉が多い。東北地方の「までい」もそんな一つだ。「真手(まて)」という古語が語源といい、転じて手間ひま惜しまず、丁寧に、心をこめて、といった意味合いで使われるそうだ。
までい=丁寧に、心をこめて東北地方では昔から「までい」という言葉が使われています。「食い物はまでいに食えよ」「子供はまでいに育てろよ」「仕事はまでいにしろよ」
この言葉には、「手間隙を惜しまず」「丁寧に」「心をこめて」「時間をかけて」「じっくりと」と言った意味が込められています。
世の中でスローライフという言葉が盛んに言われていますが、この「までい」こそ、人と自然が共生する真摯な姿勢だと、飯舘の人たちは考えました。飯舘では、地域の特性と歴史を理解し、自然と人を大切にした暮らしづくりを実践しています。

▼「までいに飯を食わねえどバチあだっと」「子どものしつけはまでいにやれよ」などとお年寄りは言う。原発禍に揺れる福島県飯舘村役場に頂戴(ちょうだい)した『までいの力』という一冊で知った。言葉どおり、手塩にかけて築いてきた村の日常がオールカラー本に息づいている。
▼スローライフの考え方が広がり出したころ、村長はじめ村人は思ったそうだ。「それって『までい』ってことじゃないか」。以来「までい」を合言葉に、地に足をつけて村をつくり上げてきた。
▼ところが本の刊行直前に震災が起きた。「ここには2011年3月11日午後2時46分以前の美しい飯舘村の姿があります」。中表紙に急きょ刷られた一文に怒りと悲しみがこもる。計画避難で全村民が村を離れなくてはならない。
▼「までい」の教祖のような、19世紀米国のソローを思い出す。物質文明を問うた名著「森の生活」の末尾に、「われわれの目をくらます光は、われわれにとっては暗闇である」という象徴的なくだりがある。原発がともす繁栄の光は、私たちにとって何なのだろうか。
▼地に足をつけてきた人々が地を追われる無念を思う。とことん考えることでせめて悲痛に寄り添いたい。原発の受益者は都会人なのを忘れることなく。