1/17 阪神・淡路大震災から19年 “忘れない!” 心に刻む

k2546114今日で、あの阪神・淡路大震災から19年が経ちました。
その後も、3年前の東日本大震災をはじめ、震度7以上が3回、震度6以上が40回、震度5以上が 260回も日本の各地で起きています。どこで震度6強の地震が、いつ起きてもおかしくありません。
阪神・淡路大震災の時、神戸市のの現状は、85%を一般市民が人命救助をしました。また、自力脱出困難者約3万5千人の77%を近隣住民が救出しました。
特に阪神・淡路大震災後、地域コミュニティの果たす役割は大きく、”自らの命は自らが守る”と、地域は地域住民で守る!の機運が高まっています。
koube

神戸の阪神淡路大震災記念・人と防災未来センターの語り部で当時消防士であった野村勝氏が昨年9月、昭島に来られ、多くのことを教えていただきました。
今でも心に刻まれているのは、 「人と人のつながりが変わった 」ことで、向こう三軒両隣で開放的コミュニティが命を救った長田・淡路北淡町の実例や、逆に都市化が進み以前は個人のつながりが地域にあったが、新住民が入ってきてコミュニティの形成が難しくなった事例。 都市化が進めば地域の人のつながりが薄れていき、災害はその地域で起きます。矛盾しているがこれが現実。都市は社会基盤が整備されると個人のつながりが少なり、交通の便は良くなったが人のつながりがなくなったこと。
”公助の限界”のことで自己体験を詳細に話さtc3_search_naver_jpれ、更に阪神淡路大震災で倒壊家屋の下敷きになっている人を助けたのは95%が地域住民であったことを忘れてはならないこと。自ら消防士として当時連日対応して消防・警察・自衛隊等の公助の限界を知ったこと。
だから「自分たちの地域は自分たちで守る」しかないということを強調された。また、防災訓練は”自分の命をどのように守るのか”を伝えるのが大切な役割である。誰のためでもない自分や家族のためであることを忘れないで
下さいと心から叫ばれていたことを本日思い出しました。
防災隣組の構築により近助での人のつながりを作り、地域としての共助の確立の重要性しか防災・減災の近道はないことを知りました。

昭島市として、今月28日関係者が集い、いよいよ公立小学校、中学校に行政=学校=地域(自治会)の協働による『避難所運営委員会』が設置の準備に入ります。自治会連合会としても、昭島市総務部防災課と連携を密にし、まず市内の全学校に委員会が設置されるよう協力してまいります。